くらしのたね

奇跡だ! とても小さな奇跡だけれど。


こぐれひでこさんの海の家の鍵

 海の家の鍵がないことに気がついた。心当たりのところを探してみたが見つからない。4日前、海の家の鍵を閉めたのは私だ。鍵を玄関につけっぱなしにして帰ってきてしまったのか? そうだ、きっとそうだ。いてもたってもいられなくなり、海の家に行くことにした。1時間後、その家に到着。祈るような気持ちで玄関へ向かう。鍵はない。合鍵で家に入る。

 合鍵があるなら、もうひとつ合鍵を作ったら解決でしょ。アナタ、そう思った? でもね、前所有者から「これはフランス製で合鍵を作れないからくれぐれもなくさぬように」とふたつだけ渡された鍵なので、それができない。

 その夜は眠りが浅く、いくつもの夢をみた。その中で覚えていたのは鍵が発見されたふたつの夢。ひとつは公道に面する門の前に置かれていた。もうひとつの情景は不確かなのだが、私は鍵を見下ろしていた。
 翌朝夫に「鍵を発見した夢をふたつみたけど、正夢なんてことないよね」と話し、食材の買い物へ出かける。海風が気持ちのいいドライブ日和だ。いつしか鍵のことなんか忘れていた。家近くに借りている駐車場へ戻って車を降り、何の気なしに地面をみると、あれ、あれ、これ……これ、鍵じゃないか。意外にこういう時の反応ってゆっくり。すぐさま「アッタ~!」なんて叫ばないものだ。ゆっくりと鍵を拾いあげ、まじまじと眺めているうちにじわじわと喜びの絶頂が訪れ、「これは奇跡だ!」と小さくガッツポーズをする。

 もしも昨日、海の家までやってこなかったら。もしも買い物ドライブにひとりで行かなかったら運転席には夫が座っていたはず。もしも車をもっと右側に止めていたら。いくつもの幸運が重なっている。そういえば、昨夜みた夢はふたつとも俯瞰で鍵を見下ろしていた。あれは正夢だったんだ。これを奇跡と言わずなんと言う? ラッキー気分がじわじわと深まる。
 鍵の紛失なんか、人生を左右する大きな出来事ではない。しかしこんな小さなことでも人は幸せになれる。自分は運のいい人間だと思うことができる。

 トップに掲載した写真は発見された鍵にキティちゃんのマスコットホルダーをつけたもの(数年前にZuccaで販売された大人仕様のキティちゃん)。せっかくいただいた幸運が逃げていきませんように! と祈りを込めて。


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プロフィール

こぐれひでこ プロフィール

1947年埼玉県生まれ。
イラストレーター。
デザイナーとして活動後、
『流行通信』での連載がきっかけとなり、イラストレーターに。著書には、「食」「暮らし」に関するエッセイも多く、毎日の食事を公開しているホームページ「ごはん日記」は2000年より連載中。読売新聞の「食」に関するコラム「食悦画帳」は2004年より連載中。著書は『こぐれひでこのおいしいスケッチ』(新潮文庫刊)、『小泉今日子×こぐれひでこ 往復書簡』(角川マガジンズ)